
[第49回]最後に
謝意を捧げて大団円
鋸南町の鋸山から鴨川市の岩高山を経て、勝浦市の興津湾に出る「郡界尾根」を歩いたのは2007年10月から12月までの7日間だった。記者(忍足)の山の師、川崎勝丸さんの勧めで、7日間を歩き通した。打診されたとき、完歩する自信はなかった。が、歩くたび、多くの山の仲間との親交が深まった。房州の山の神髄を実感した旅だった。
あれから2年。今度は房州を外れて、久留里から歩くという。「何日かかるのか」。率直にそう尋ねた。
師は「10日以上はかかるでしょう」。郡界尾根より遥かに長い。が、躊躇(ちゅうちょ)することはなかった。素敵な仲間がいるのだ。10日間など、きっと短く感じるに違いない。
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[第48回]布良へ
旅の最後にビッグな贈り物
ルートが修正され、行き先が定まった。館山・南房総の市境の尾根を進めば、その先は布良である。
川崎勝丸さんは言う。
「洲崎をゴールに設定してもよかったんですが、景色がイマイチ。布良ゴールならば、太平洋の眺めが楽しめます」
山のご馳走は、景色というのが川崎さんのポリシー。ベテランらしいセッティングである。
尾根を歩くと、木々のすき間から紺碧の太平洋が見えてくる。眼下には根本港が見え隠れする。最終ゴールは間もなくである。
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[第47回]根本峠へ
迷い 滑り また迷う
神余トンネルから先は、アップダウンのやぶこぎとなる。郡界尾根のような激しい高度差ではなく、快適なアップダウンである。
トンネルから10分ほどで、石宮のある場所に出た。石材を組み立てた宮がある。「文化]年間の文字があり、立派な石屋根も載る。それなりの信仰対象なのであろうが、人が訪れた気配はない。
この石宮の下に降りそのまま行くと、いくつかの檻(おり)わながある。アカゲザルの捕獲装置である。白浜地区で増殖している外来種で、これを一網打尽にしようという作戦だ。このルートは館山・南房総の市境である。
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[第46回] 神余トンネル上へ
街道の証拠 路傍の穴
京塚山から南へルートを取る。ここからしばらくはトージ(マテバシイ)の人工林が続く。トージは房州ならばどこでも植えられている広葉樹だが、神余地区の特徴は、根元から枝分かれしている点である。これはかつて用材として切り出され、そこから枝分かれしたことを指す。房州のトージの多くが、植えられっぱなしなのに対し、ここのトージはきちんと活用されていたのだ。
根元から芽吹いた枝が育ち、それなりの太さになっている。この枝分かれしたトージでも十分に活用できるだろう。もっとも現代に薪の需要はないだろうが。
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[第45回] 京塚山へ
フルキャストで最終日
分水嶺の旅もいよいよ、最終日。10日目である。祭りの神輿が神社に戻ってしまうと、いいようのない寂寞感に襲われるが、この旅ももっと続けていたいような、ゴールしたくないような気になってしまう。どんな旅にも終わりはある。感傷に浸ってはいけないのだ。
そう思いながら、最後の仕度をする。ここで大きなミス。最終日で気が緩んだか。カメラを自宅に置いてきてしまった。記者のカメラは、武士でいえば刀。警察官ならけん銃である。致命的なミスを案内の山口一嘉さんが救ってくれた。愛用のカメラを貸してくれたのである。ありがたきかな、山仲間。
前回の航空標識所からスタート。最終回とあって山仲間もフルキャスト。男女9人で布良を目指す。神余から布良なので、地図上ではさほど距離はなさそうだが、実はやぶこぎも多く、ルートが取り難い場所で、意外とロングだった。
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[第44回]航空標識所へ
深呼吸して9日目終わる
乙王の墓周辺には、立派な案内標識があって、この尾根の下の林道小松線から歩くルートが整備されている。尾根道自体も歩きやすく、まさに房州古道である。
音落ヶ嶽からはだらだらの下り。乙王の墓の林道入り口を過ぎると、5分ほどで畑と山荻を結ぶ市道の上になる。崖面の縁を歩いて、きつい上りを上がると、畑のトンネルの上に出る。東側には広域の基幹農道が広がる。この視界のある場所からは、北側の嶺岡山系が良く見える。
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[第43回]音落ヶ嶽へ
切割の県道を越えて
新道はこの尾根道を横切るように南北を貫く。赤道なので新道の法面には、コンクリートでこの尾根道が残されている。ハイカーのルートは確保されているのである。
農道の反対側のコンクリート階段を上ると、そこに巨大な工場が出る。これが半導体の工場である。近くには三角点もあるが、きょうは行かない。
工場を右手に見て進むと、この尾根から館山の海と千倉の海が見えるのが分かる。農道工事で樹木が伐採されたので、視界も広がったということだ。
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[第42回]半導体工場へ
いよいよ太平洋近し
雨で湿った宇田坂を下る。すぐにコンクリートとなり、右側にはU字溝も埋められている。轍も残るから、営農している人もいるのだろう。
イノシシのおりわなの置かれた水田の広がる場所に出る。ここで正午になったので、弁当にする。地図で見る全体のルートからはまだ3分の1。少し不安になるが、川崎さんの案内である。大船に乗ったつもりで、握り飯をほお張る。
男女8人でしばし山談義。30分ほどで出発する。
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[第41回]宇田坂へ
国道128号をついに横断
山の神の階段を上り、コンクリート道から山へ入る。やぶはあるものの、歩くには支障はなく、がさがさと分け入っていく。
やぶを抜けると竹林があって、ここで竹を伐採する人がいた。ここを抜けると、視界が開け、ナバナを摘む人がいた。さっきの2つの石宮のいわれを聞き、近くには天道神社もあるという。
手を休ませてしまったおわびを述べて、先へ行く。出た先のコンクリート道の端には4つもの石宮がある。馬頭観音や牛頭観音である。元々酪農が盛んな地である。牛を浮き彫りにした宮もあって、趣が深い。
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[第40回]大峰山へ
尾根で息づく地域信仰
長い旅路も、いよいよ館山市内である。ここからは千倉との境尾根を歩いて、布良を目指す。いくつもの市町村をまたいだ長旅も、いよいよ最終盤である。例によって川崎勝丸さんがこの日のルートを示す地図を出してくれる。長いような短いような。もう終わりたいようで、まだ続けていたいような。そんな気分である。
連日の雨で、この先の予報も雨。この日は奇跡的な雨間の晴れである。
館山市竹原の相賀地区を出発。ここから尾根を上がり、前回のゴール地点に合流する。まずは里山歩きである。
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