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すでに本紙で報道されましたように、6月24日に房日新聞社創刊70周年記念事業のイベントが南房総市のとみうら元気倶楽部で開催され、私も出席いたしました。

私が本紙に「医事エッセイ」としてさまざまな意見を掲載していただくようになってすでに20年が経過し、号数も1000を超えました。その1000号記念も兼ねて、同社のご厚意で今回の70周年記念イベントの中に私のトークの枠をつくっていただけました。

本企画の中心人物である忍足利彦編集部次長の講演の後に、忍足次長の軽妙な司会進行により、私のトークをうまく引き出していただきました。

私と忍足さんとの出会いの紹介から、医事エッセイが始まった背景、その歴史の紹介がなされました。長い20年間の間に1回だけ掲載を休ませたいただいたことがありましたが、それが2003年5月23日に発症した私の重症心筋梗塞のためであったこともご報告できました。その際は、病室で今回は執筆できない事情を息子に口述筆記させて房日新聞社へメールでお送りしたこともご紹介いたしました。

その後は、半年後に発症した脳腫瘍治療の際も、最近2年間に発症した2回の脳出血の際にもエッセイを書き続けてきました。

私は自分自身の病気に関しても、本紙読者の皆さまには包み隠さず、すべてご報告してきましたので、これからもそうさせていただきますので、もうしばらくお付き合いいただけますよう、お願い申し上げます。

長い20年間でしたので、時には「きょうは疲れてしまって書く気力が出ないなあ」と思うこともありましたが、そういうときには必ずと言って良いほど、回診中に患者さんから「先生のエッセイを毎週楽しみにしていますから、やめないでくださいよ」と声を掛けられるのでした。きっと患者さん方には私の疲れ具合が手に取るように見えていたのだと思いますし、その励ましに私は背中を押されるようにして20年間を過してきました。

今回の記念イベントの際にも、これまでに私が手術をさせていただいた大勢の患者さんとそのご家族にお会いすることができました。亀田総合病院時代の古い職員の方々にもお会いして旧交を温めることができました。

本紙への執筆を継続させていだいたことで、本紙読者の皆さまには私の最高の良き理解者になっていただけたと思っております。

無理な生活をして、こんなにも病気ばかりしている私ですので、いつまで生きていられるか分かりませんが、生きている限り、本欄への投稿を続けさせていたきたく思っておりますので、もう少し見守っていただけますよう、よろしくお願い申しあげます。

まお、本欄への私の投稿原稿を毎回チェックし、適切なご指導をいただいている房日新聞社の忍足利彦編集部次長、亀田総合病院松元和子広報部長、元千葉徳洲会病院阿部地域連携室主任、徳洲新聞の中川記者に心より感謝の意を評します。

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加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

7月3日20時00分 446
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