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語り合った左から早川さん、かわなさん、福原さん、山口さん=リブ丸山で

南房総のホームで顔合わせ

戦艦長門に乗艦して終戦を迎えた元丸山町長の福原栄夫さん(98)、太平洋戦争末期に召集され硫黄島の戦いで九死に一生を得た山口周一さん(99)、戦艦武蔵の生還兵の早川孝二さん(91)=いずれも南房総市在住=が21日、同市宮下の特別養護老人ホーム「リブ丸山」で顔を合わせた。3人の戦争体験者は口をそろえる。「どんなことがあっても、戦争は絶対にしてはならない」。 (忍足利彦)

安房の90代が口そろえて 「繰り返してはならない」

戦争体験者からの聞き取りを続け、著作にまとめる活動を続ける、南房総市在住の作家、かわな静さん(82)が仲立ちして実現した鼎談(ていだん)。

福原さんの体験は『軍艦長門に乗り込んで―福原栄夫上曹 レイテ沖海戦を生還する―』に記載され、山口さんは『ひいじいちゃんは硫黄島から生還した』にその体験がまとめられた。

山口さんは高齢のためこの春、リブ丸山に入所。福原さんも週2回、デイサービスを利用して、リブ丸山を使っている。2人が同じ施設を利用していることを知ったかわなさんが仲を取り持ち、早川さんに声を掛けて、この日の鼎談が実現した。

福原さんは、長門の高角砲の第6分隊に配属、各種作戦で従軍した。「捷一号作戦」では、フィリピン海に出撃。大和、武蔵、長門が艦隊をつくり、米軍と戦った。武蔵が集中攻撃を受け、敵の魚雷は長門の艦底を潜り抜ける。武蔵は沈んだが、長門は「天佑」とされる小破だった。この時、房州出身の福原さんと早川さんは、別の戦艦ながら一緒に戦っていた。「武蔵は、大艦巨砲主義の最新艦。そちらに集中攻撃をしたのでしょう」と福原さんは分析する。

戦後の長い間、2人は同じ海域で戦った戦友だとは知らなかった。三芳地区在住で、戦争遺跡の保存や恒久平和を求める活動を続けている八木直樹さんがつくった戦争体験者からの聞き取りの冊子『戦後65年―未来へ語り継ぐ声』(2011年5月刊)を早川さんが読み、福原さんの自宅を訪ねて、互いの存在を認め合った。

山口さんは、陸軍中迫砲兵として硫黄島で8か月間、飲まず食わずの戦いに。玉砕の島にいたことから、千倉の家族は山口さんが戦死したと思い、自宅近くの寺に、新しい土まんじゅうを盛り、卒塔婆を2本立てたほどだ。「米国は戦争中、空から食料をまいた。日本軍とは大違いだった」と、飢餓に苦しんだ山口さんが述懐する。

3人は、かわなさんを交えて、それぞれの思いを語り合った。福原さんは、デイサービスを楽しみ、山口さんは耳が遠くなったが、意識はしっかりしている。早川さんは自宅で不自由ない生活を続け、いたって元気だ。

記者が3人に聞いた。3人はそれぞれの体験を基に口を開いた。

福原さん「わが連合艦隊の最後の作戦は、雨の日なのに傘がないのと同じ。護衛の航空機もない中、負け戦を戦った。もう少し、外交交渉で解決できなかったか。こういうことは繰り返してはならない」。

山口さん「戦争はみんなが死ぬ。苦しい。これからも絶対にしてはならない」。

早川さん「武蔵の撃沈の際に、体に受けた古傷が最近は激しく痛むようになった。そのたびに、戦争を思い出す。全てを破壊する戦争は、二度と嫌」。

【写真説明】語り合った左から早川さん、かわなさん、福原さん、山口さん=リブ丸山で

6月22日20時00分 907
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