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1枚目は「天真爛漫」=南房総市内で

南房総 祖父しのぶ山鹿公子さん

「時代を超えた書の歴史」

水墨画家でギャラリーオーナーの山鹿公子さん(号・公珠)=南房総市下滝田=。新型コロナウイルスで自粛生活中、古い資料を整理していたら、祖父で書家の山鹿傳壽郎(1883―1955、号・峯月)による大きな書が出てきた。「天真爛漫(てんしんらんまん)」「是吾師」と大書されている。為(ため)書きには「應 昭和三十年 卒業生之需 為 則松小学校 峯月書之」とある。北九州出身の祖父が、地元小学校のために書いたものだった。則松小学校は福岡県北九州市に存続しており、時代を超えた書の歴史に、孫の公子さんは、感慨深げだ。

2枚目は「是吾師」だった=同

傳壽郎は、公子さんの父・清一郎の父。明治16年に現在の北九州市博多(はかた)に生まれる。書家で「峯月」を名乗り、日下部鳴鶴、斉藤芳洲に30年間師事した。

「黒田節」でおなじみの黒田長政の直系の子孫、長禮(ちょうれい)の祐筆(ゆうひつ=貴人のそばに仕える書記)として身を立て、書の世界では知られた存在だった。

博多帯の織元でもあり、製造販売もしていたが、長禮の縁あって、大正5年に東京・深川へ移住。清澄町で博多帯の製造販売をしていたが、関東大震災で織機を失い、書の腕を生かして、看板や表札などの揮毫(きごう)を生業(なりわい)とした。合併して現在はない「三菱銀行」の看板文字も手掛けた。

長男・清一郎も書家になり、清一郎の次女・公子さんは、水墨画家となった。多くの遺品も受け継ぎ、コロナ禍で自由な時間があったことから、こうした遺品を整理していた。

出てきたのは、大きな横書きの書。2枚が重ねられ、1枚目には「天真爛漫」、2枚目は「是吾師」。2枚目には「應 昭和三十年 卒業生之需 為 則松小学校 峯月書之」と書かれている。読み下しは「昭和30年卒業生の需(もとめ)に応じ 則松小学校のため 峯月これを書す」だ。

為書きの部分=同

北九州出身の傳壽郎が、昭和30年の卒業生の求めに応じて、「天真爛漫」「是吾師」を書いたことになる。書は2枚にわたっているが、「天真爛漫是吾師」の文字は、中国の宋(そう)時代の詩人として知られている蘇東坡(蘇軾)の漢詩にある。

天真爛漫は「飾らず自然のままの姿があふれ出ているさま」で、これこそがわが師であるというのが成句だ。

現在、日本で使われる天真爛漫は、この漢詩が語源という説もあり、漢詩の世界では有名だという。

傳壽郎が故郷の後輩に、「飾らず自然のままに生きることこそが、わが師である」と

文字で説いた可能性もある。

山鹿公子さんの祖父・傳壽郎

その則松小学校、実は現在も存続している。行政のホームページによると、明治7年に永犬丸(北九州市八幡西区)の般若堂を校舎に、宮本小学校として開校した。学園都市でもある折尾市街地にあり、創立146年の歴史を誇る。

事情は不明だが、故郷の小学校卒業生に贈るため、この大書を仕上げたとみるのが、普通だろう。書家は何枚かの同じ作品を仕上げるのが一般的で、手元に控えの作品を置くことも。

傳壽郎は、昭和30年12月23日に没しており(享年72)、この書の前後が絶筆となった可能性もある。

偉大な祖父の書を前に、公子さんは感慨深い。多少の虫食いはあるものの、書としての価値も高く、これからも大切にしたいと思う。

「コロナ禍で家を整理していたら、祖父の書が出た。まさに、ひょうたんから駒。せっかくの作品なので、大切にして手元に置きたい」と公子さん。

【写真説明】1枚目は「天真爛漫」=南房総市内で

【写真説明】2枚目は「是吾師」だった=同

【写真説明】為書きの部分=同

【写真説明】山鹿公子さんの祖父・傳壽郎

7月11日20時00分 580

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